仕事半分・見学半分で岐阜の関市に行きました。
寄ってみたかったのはフェザー・ミュージアムと円空館だったので、最初はフェザー・ミュージアムに寄りました。
観光で来るようなところではないので、行ったときには数人しかおらず、ゆっくり見学をすることが出来ましたね。
創業当時からの製品が展示されていたけど、シェック・インジェクターのような製品も有ったんだな~。
そんなに古くないのだから、再販してほしいな。
写真は、そのインジェクターのような製品ではないけれど、持ち手が木製らしきもので1987年に発売していた「ウッディーモーニング」
TTO式(ヘッドが観音開きになるタイプ)だけれど、なかなかユニークで良いね。
当時も今みたいに髭剃りに少し拘っていたら買ったかもしれないね。
ただ、TTO式はイマイチ自分には合わない感じなので、3ピースのメルクール43002とフェザー特選カミソリ(AS-D2)を使っています。
入場無料でトイレも借りたので、アハハ サムライエッジホルダーと替刃を買いました。
今もサムライエッジは使っているけれどね。
だけど、不思議なのは・・・外国でも高い評価の両刃式の特選カミソリ(AS-D2)は売っているのに、ホームページにも無く宣伝もしないのはなんででしょう??
あ!!!聞いてくるのを忘れた。(@_@;)
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長良川の方に向かって、
円空館の在る弥勒寺遺跡群に向かいます。
橋を渡って見渡すと長良川の綺麗な景色が広がります。
鵜飼いの時に使う船が橋の下に写っています。別に鵜飼いには興味はないけど、その時は沢山の人が来るんだろうな。
弥勒寺遺跡群の駐車場は広くて、行ったときは三台くらいしか無くて・・ここは観光とは無縁なんだと思えましたね。
竹林の中を円空館に向かって歩いて行きます。
誰も居ない中をゆっくり歩くのは気分のいいものです。矢印にしたがって歩道を外れて100mほど歩くと今も利用されている小さな墓地区域が見えてきます。
その中に円空のお墓が有りました。
いかにも円空のお墓らしく、加工した石を使わず自然石を使っていました。
もちろん手を合わせてきましたよ。
林の中、少し湿っぽいかんじなのか、小さな虫が飛んでいて・・ちょっと難儀しました。^^;
もし、今度来るなら初冬か初春だね。
駐車場から円空館まで竹林の中を歩いていったけれど、会ったのは三人だけでした。
円空館に入った時は、私一人(@_@;)
おかげて、係の方に丁寧に説明してもらったのはラッキーだったけどね。
初期の円空の作った像は、一般的に有る仏像と変わらない感じだけど、だんだんと円空の円空物になっていったのか興味深いところです。
円空館を後にして、来た道でなくてアスファルトの道を下って長良川沿いの道に出て、円空上人が入定した場所に行きました。
記念碑を守るように、立派な藤の木が二本ほど鎮座していますが、円空が亡くなるときにはすでに在ったのでしょうか?
「この藤の花が咲く限り、この土中に生きていると思ってほしい。」という言葉を里人に残して入定したという。
入定日1695年8月24日 64才の人生でしたね。
私のすぐ後に京都から来た若い男性と少し話しをしましたが、入定記念塚で手を合わせている時に彼の眼から涙が見えたときには何も言えずに駐車場の方に戻りました。
彼の脳裏に何が映り、何が語られ涙が出てきたのか。。。。。
駐車場から弥勒寺に伺いました。
弥勒寺は、円空が来たときには廃仏毀釈でもないのに廃寺同然だったらしいですが、円空が再興し円空仏も沢山有ったらしいけれど、大正時代に全焼して多くの円空仏も消失してしまったとのこと。
だから、今の弥勒寺は比較的新しい建物です。
そのはずでもないでしょうが、残念ながら(気)は感じなかったですね。
寺の中には、現在の人たちが作った円空仏みたいなものが沢山あった。・・そうじゃないだろうと思ったけどね。
今回は無計画同然で来たけれど、次回は計画を立てて所縁の場所や建物を回ってみたいですね。
「歓喜する円空」を未だ読み終えてないしね。
田川寿美さん・・・オリジナルより良いな。