「墓石の下では眠らない」を読んでいて、散骨もいいけど樹木葬もいいかなと思えてきた。
ただ、仏法とはなにも関係ない葬式仏教や僧侶の名に値しない葬式坊主とは関わりたくないから気をつけないとね。
散骨にしろ樹木葬にしろ、名前を刻んだ墓標が無いから、せいぜい墓参も子供の代までで、樹木も大きくなって姿も変わっていけば自然に忘れられていく。
私が死んだら全ての痕跡は消したいと思っているし、それでいいのではないかと思う。
「法句経」にも『飛ぶ鳥に跡なし』とある。
水の上で遊び餌をついばんでいた鳥も、飛び立てば一切その痕跡はないというわけだ。
う~ん、煩悩いっぱいの俺は・・まだまだダメだ。
忘れることによって、死者は諸々の呪縛から解放されて死者でなくなっていく・・・・
本来、仏教では死者を忘れることを教えていますから、49日だと一周忌だと三回忌だのと、「檀家」の無知をいいことに、死者を食い物にして檀家から金を巻き上げつづける葬式仏教・葬式坊主というのは、本当にタチの悪いハイエナだ。
またまた、あの葬式坊主に腹が立ってきた。
腹が立ったところで、コーヒーブレイク