五木寛之の本を読むと出てくる「諦めと覚悟」
諦めと覚悟は、いわば同じであって同義語のようだ。
諦めは、投げ出してしまうのではなくて・・明らかに究めるという意味らしい。
覚悟を持って諦める・・・時として、こういう心構えが必要な時が今ではないかなと思う。
利己主義の塊である買いだめや拝金主義の買占めとか・・そんな卑しい行為は、「諦めと覚悟」を持った人には無縁なはず。
周りを怒鳴りあげているだけのイラ菅総理では、今の日本人の心を一つに出来ない。
所詮は市民運動家レベルの器で、諦めと覚悟の哲学もない総理に、諦めと覚悟を国民に向かってメッセージとして送るなど無理な事だ。
尖閣列島での中共中国の卑劣な行為に対して、常に卑屈であった態度からも分ろうというもの。
国を守るということなら、今は戦争だ。
この非常事態の時に、台湾の総統だった哲人政治家・李登輝博士のような政治家が今の日本に居ないのは、これもまた悲劇なのかもしれない。