夏になるにつれて雑草も生えてくるのは仕方ないこと。
毎年、草むしりせねばなりません。何箇所かあるので、辛抱強くなくて直ぐに飽きてしまう私にはキツイ作業ですわ。
それにしても・・隣の会社は草むしりをしません。若い男たちもいるのにね。
しかたないから、隣の会社の敷地だけど、今朝も草むしりしてきましたよ。写真の草はほぼ取りました。・・まったく、なんだかな~です。
しかし、毎年こうして草むしりしているのだけど、雑草というのは生命力がありますね。何が「雑」なのかは解りませんが、その草だって生きる権利はあったわけで、そう考えると申し訳ない気がしないでもない。
根っこを穿り返したりすると、小さな虫やミミズが出てきますね。パニックになってるのか右往左往していて面白い。そんな彼らにも生の営みがあって生きているわけで、自然に逆らわずにありのまま生きている。ふと、「山川草木悉皆成仏」なんだなと思いながら、私は草を取るのをやめて見ていました。
そして、生きてるものは、生きてるものの命を頂かないと一日も生きていけないという残酷な現実も脳裏をかすめました。これは生きるものの業として避けられない。
ならば、避けられない現実を見つめて、命をくれた生き物に感謝すれば心も穏やかになるというものです。
食事のはじめに「頂きます」というのは、作ってくれた人への感謝の言葉でもあるけど、命をくれた動植物への感謝の言葉だということを忘れてました。これは、子供に言わないと!!
豚や牛は殺して食って、カンガルーは年間300万頭を殺してもいいが、「人間の友達である」(クジラやイルカは人間を友達とは想っていないでしょうが)・・鯨やイルカの捕獲は残酷で許せんという、アンクロサクソンを中心とした白人の傲慢で偏見に満ちた思い上がった考えに、私は怒りを覚えるのです。