昨日、信大の方に行ったので、ついでに戊辰戦争以来の戦没者を祭っている長野縣護国神社へ約20年ぶりに寄ってみた。成人式も昨日終わり、あめ市も済んだせいかあまり人は居ない。
そもそも、神道の神社というのは八百万の神を畏敬する場所。すなわち、自然を敬って五穀豊穣を願い、子孫繁栄を願う場所だったはずが、明治以降の天皇国家神道によって先の大戦に負けるまで、平安を願うとごろか武運を願うという道外れの道具に成り下がったことは、誠に悲しい思いだ。
神社に対して、今ひとつ素直になれない理由は、その天皇国家神道と今も縁が切れてないせいだ。
いつ頃から天皇と神道がくっ付いたのか?天皇がどう利用され、神社がどう利用されたのか?昭和の戦争時代・・裕仁が現人神などという戯言を本気で信じていたのかどうか知らないけれど、そういうものを作り出したものはいったい何だったのか?
今のシーシェパードのように、常識では解らないことをしてきた日本が最近まで確かに在ったのだ。そういう時代を経験している日本は今の北朝鮮の金豚のことは笑えない。
はやく、菊のご紋と縁が切れて、本来の八百万の神を祭る明治以前の神社に戻ってほしいと思いながら巡ってみた。
御朱印も貰ってきたけれど、やっぱり御朱印はお寺だけでいいや。^^