今日は敗戦記念日・・終戦などというマヤカシの言葉でメディアでは言うが、じつに腹立しい誤魔化しだ。これも、アメリカの愚民化政策の一環なのか。敗戦後、自国を守る気概も無くし、アメリカは自国の小麦粉を買わせるために「パンを食べましょう」と給食にはパンを出させ、全て悪いのは日本で、ナチのユダヤ人虐殺以上の非道なホロコーストである原爆投下を戦争早期終結のためにやむなく行った正しい行為だと恥ずかしくも無く自己を正当化し続けている。
外国軍の駐留を疑問にも思わず、平和ボケして物質的豊かさに狂喜していれば、いずれは亡国の憂き目にあうだろうことは歴史を見れば解ることだ。中共の覇権行為への抑止・アメリカを牽制・または利用するためには、大いに核兵器の開発議論をすべきだ。思いあがった彼の国々を牽制するためにも議論すること自体が大切だ。それが抑止力にも通じると思う。
世の中、綺麗事では生きていけないのは個人も国家も同じ事ではないか。
それに、靖国神社を参拝するとかしないとか、バカみたいに毎年騒いでいるが、もういい加減にしてほしい。A級戦犯が祭られていようといまいと、何も靖国神社に何かがあるわけじゃない。A級戦犯とは連合軍が勝手につけた名称だが、結果的に日本内外に災難をもたらせてしまった指導者であることは間違いない。
東條英機は、戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けず」と自ら書きたてておきながら、テメイは、報復裁判で死刑判決を受けてから拳銃で腹部にピストルを撃つという体たらく・・米兵の輸血で命を取り留めて、結局は絞首刑になるというだらしなさだった。
生きて虜囚の辱めを受けずという言葉に、どれだけ多くの人が亡くなったのだろうか。
今・・だれが東条英機を初めとする連中に復讐の誓いを立て、再び戦争を始めようとする人がいるだろうか。
靖国神社へは、行きたい人は行けばいいのだ。中共や韓国の無知蒙昧な連中が何を言おうと、これは個人の心の問題であって干渉される筋のものではないと思う。政争の具にし、中共の外交カードにした社民党や朝日新聞の愚かさと卑怯さは目を覆うほどだ。
8/15は、終戦記念日でなく、敗戦及び日本再生を誓う日にしてもらいたいもんだ。
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お盆・・一見、仏教の行事のようにも思えるけれど、釈迦の教義とはほとんど関係ない。古来からの神道との習合で出来た習わしだろうけど、故人を偲び、先祖を祭るのは良い習慣とは思うけど、こんな時期だけ個人宅を廻って、訳の分からない呪文を唱えて高い金額の金を取っていく葬式仏教の坊主は、真の僧侶とは180度違う。そんなことに、何の疑問も持たずに金を出すほうもおかしいけどね。無知に付け込んで金を騙し取る詐欺とたいして変わらない。
実家には、仏壇というものはない。もちろん戒名なんてない。有るのは偲ぶ壇だけだ。
心の問題である祈りに立派な仏壇なんて要らないのだ。
そもそも戒名なんて出家した僧侶につける名前であって、亡くなった一般人に付けるものではなかったはずだ。
いつ頃からだろう・・・戒名にナントカという字を入れるのにウン万円とかいうようになったのは。何度も書いたけれど、かように、今の日本の組織としての仏教は腐っている。似非宗教の創〇学会や幸〇の化学とさして変わらない。
それでも、青山尼や、先日亡くなられた松原 泰道さんのような素晴らしい僧侶もいるのが救いだね。
・・青山尼の話に耳を傾け、涙を流していた盲目の若い女性のことを思い出したら、此方まで涙目になってしまったワイ。
今日は、実家に行って偲ぶ壇の前で祈りましょう。幼くして逝った兄や祖母祖父・ブーゲンビル島で戦病死した伯父さんや他の多くの見知らぬ親類の霊を前に祈りましょう。
本日、
いまをどう生きるかという本を買うことにしました。五木寛之と松原さんの対談本・・ともに仏教に詳しい二人。レビューを見るとかなり良さそうです。
仏法とは、本の題名のように、いまをどう生きるかという人生哲学であって、死人の前で呪文をとなえ、金を取る儀式の道具じゃないんだよね。