息子は、声楽の師匠である稲葉美和子さんのリサイタルを観に原宿に出かけたようです。
上野の東京都美術館で開催されているフェルメール展にも足を向けたようだけれど、30分待ちの混雑だったようで諦めることにしたそうな。行列を作るとは・・ここら辺では考えられないことです。
良くも悪くも・・いろんなことのあった小諸の高校を出て3年ぶりに松本に戻り、地元に声楽の先生は居ないかなと思ったときに、私が・・地元で音楽クラブを主宰する塚田さんに相談したら、実姉である二期会所属の稲葉さんを紹介してくれたわけです。
写真は、「すみだトリフォニーホール」で行われたリサイタルの写真。ピアノ伴奏は、妹の塚田さんです。声楽は、男子は男性の先生がいいと言われるけれど、それは。。もう、プロのレベルの話。まだまだ・・そこまでのレベルではないですからね。
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昨日の黄昏時、ある有名なエネルギー会社に伺ったわけだけれど、そこの女子事務員の古株というのが・・どうにも好かん。そこそこの顔立ちではあるけれど、その電話での話し具合やカウンター越しでのモノの言い方にトゲがあるのだ。
偶然にも同姓だった以前の事務員さんは感じの良い方だったのだが・・美人薄命は世の習い。若くして逝かれた・・。
吹けば飛んでしまう塵のような会社の私に比べたら有名な会社の人間なんだろうが、仮にも私はお客なわけで・・・上から目線の「売ってやる/してやる」という態度があからさまでは、あまりに情けない。「私が頭を下げてお礼を言ってるのは、あんたじゃなくて、あんなの後ろに付いてる看板に対してなんだよ。」ということが解っていないんだろうな。
一度、所長に苦情を言ったのだが・・果たして、聞く耳があったかどうか。
人というのは何事においても勘違いしやすい。某銀行の支店長には毎年毎年・・年賀ハガキが融資してる会社から沢山来て、年始詣でもアチコチからあったそうだけれど、定年退職したら・・一通もこなくなり、誰も年始の挨拶に来なくなったという話を聞いたことがある。自分と自分の所属する会社の看板とを区別できない輩は多い。
人は自分の姿を見たくて鏡を見るけれど、そこに映っているのは180度反転したそっくりな自分の姿であって本来の自分で無いように、他人に映る自分というものは、自分が思っている自分とは異質なものかも知れない。祭り上げられ・褒められていれば、凡人の多くは知らず知らず舞い上がってしまう。財産も肩書きも学歴も全て忘れて振り返り、時には「素なる自分」を見つめないと、人は自分を見失ってしまうのかもしれない。