いつもなら、春になってきたことを伝える報道がされるところだけど、熊本での地震の大きさに改めて荒ぶる神の恐ろしさと人間の小ささが分かるというもの。
家屋の崩壊は、地面そのものが隆起したり陥没したりしたを除けば、やはり古い作りの重い瓦を乗せた家が多いように思える。
2013年には警告されていたはずの地震は、ものの見事に・・確率など関係なしに襲ってきた。
ホッサマグナと糸魚川・静岡構造線のWマッチングした上に住む私は・・とても他人事でないし、、2011年6月30日の朝に起こった松本市付近で発生した直下型地震だった長野県中部地震(松本地震)を思い出す。
会社のシャッターを開けて、しばらくしたら・・・ごぉ~と言うような音がしたら、オンボロ建物が縦に激しく揺れて、本当に死ぬかと思ったものね。
熊本では、そんな地震が何度も来てるのだから、こりゃほんとに堪らんよ。
自分に出来る事といったら、せいぜい募金位しかないけどね。
だけど、報道のためのヘリコプターって邪魔でしかないのでは??
騒音で、人のかすかな声が聞こえず、そのために助からない人もいると聞いているぞ!!
協定でも結ばせて、報道のヘリは一機にして、それも飛ばす時間は制限すべきじゃないか??
いくら報道の自由が有ろうと、人命第一には変わらない。
それに、救助現場を中継する必要なんてあるのかって聞きたいね。
今のところ真面目に毎朝歩いてますが、近くの野溝神社までは・・ゆっくりと体操なんかしながら行きます。
そこで手を合わせて出発!!! 神社の奥の鳥居は、松本地震の時に壊れてステンレス製の金具で固定したままです。
石で出来た鳥居だから、直すといっても無理だし、おいそれと新しいものに交換するのも考え物だしね。これはこれで、地震の記憶になっていいのかも。
歩くと、車では分からない景色が見えますね。
気にも留めなきゃ変わらないと思える風景も、日に日に変化しているのが分かってきます。
小さかった麦も知らぬ間に大きくなっていました。ところどころ、田んぼにも水か引かれています。
二十四節気では、春分の次は[清明]で、本朝七十二候では「虹始見・・にじはじめてみる」です。
未だ完全復興とは縁遠い東北や今回の熊本の人達にも「虹始見」が有りますように!!!
そして、また「天は自ら助くる者を助く」のであり、他を助くる者はさらに助くのだと思う。
天は自ら~は、イギリスのスマイルズが『自助論』の中で説いた言葉だけど、日本の道元などは遥か昔に同じようなことを言っている。
挫けそうな時には、古くから日本にある仏法や親鸞や道元の言葉・般若心経などの言葉を探してみるのもいいですね。
私は枕の横に、「明川哲也の大丈夫、生きていけるよ」を置いて、時々読んでます。私にとっては一生ものの本かな。