1/3は私の実家に行きました。 そこそこ晴れて良かったです。
少し遅れてお昼近くになってしまいましたが、つつがなく昼食には有りつけました。^^
普段は、実父母と兄夫婦の四人だけですが、甥っ子達も居るので9人になりましたね。
私の買っておいたしゃぶしゃぶ鍋を年末に兄が買って行ってしまいましたが、もう一台のシャブシャブ鍋も使って、お昼はシャブシャブ鍋でした。
お腹も膨れたところで、腹ごなしになるので穂高神社に行くことにしました。
元旦は・・・ものすごい人の数だったらしいけど、3日ともなると多いけれど少し落ち着いた感じ。
よくしたもので・・・同級生とか知り合いには出会わなかったですね。
おみくじもしてきましたよ。巫女さんにお金を渡して、筒の中から番号を出すやつね・・・末吉でござった。
なかなか良い未来が待ってるような・・・・アハハ^^
それにしても、穂高神社は・・・小学校時代の私達にとっては遊び場だった。
池の前で三角ベースをしたり、鎮守の森の中に入ってかくれんぼや木登りをしたりしたものだ。
中学生が子供舟の笛や太鼓・電線除けの担当になるのですが、今は新しくなってしまった神楽殿で、お祭りの一か月前から練習を毎晩やったものです。
手水舎・・・これを見るといつも思いだします。
今じゃ、ご立派な龍の口の出水の飾りが有りますが、当時は蛇口一つだった気がします。杓子を置くようなスパンも無かったです。
夏休み・・・集団で小学校のプールに行くのだけれど、神社が集合場所になっていたわけですが・・・小2の夏・・ふざけて手水舎の所で遊んでいたら足を滑らせたのか??なにかして・・・手水舎の水溜まりにしっかり浸かってしまって自分だけ濡れたまま泣きながら帰った記憶があります。へへ
家からの神社への往復は拾ヶ堰(じゅかせぎ)・・・正式名は拾ヶ村組合堰の脇道を歩いていきます。
この脇道は、小学校への通学路でもありました。
小学校当時・・・江戸時代のままのような拾ヶ堰は魚もいたけど、コンクリートで固めてしまった拾ヶ堰は、ただ水が流れる魚も住まない死んだ川と同じです。
用水路としてはそれでいいのかもしれないけど、あまりに無機質で愚かな人間の所業の代表格のような風景になってしまいました。
コンクリートで固めた拾ヶ堰に、どれほどバクテリアなどの浄化能力があるのでしょうか???
実家に帰った時、この拾ヶ堰を見るたびに悲しい気持になってしまいます。
帰ってきてからは、トランプの大富豪に興じて凄ましたね。
夕飯は・・面倒だからスーパーのお寿司+α。
皆考えることは同じだようで、息子と甥と私で買いに行ったら僅かしかなかった。
でも・・まあ~そこそこ美味しく頂きました。
あまり遅くなると風呂などに支障が出るので20時頃には実家をでました。