昨日、義父の姉・・義理の伯母宅を訪問し、葬儀への出席のお礼と49日(私には意味がないけど )のこと。
それに、墓誌を作る祭の費用の一部負担についてのお願いに行って来た。
家族葬など想像してなかった義理伯母は、その質素な行いにご不満があったに違いない。
なんせ、義理の伯父(夫)が亡くなった時は、セレモニーセンターで250万以上掛かったようだからね。
当然、大幅な赤字になったらしいが・・・そんなことをして、果たして死者が喜ぶのかね???
喜んだのは、ブッダの思想など何も解ってない葬式坊主とセレモニーセンターだろうにさ。・・
にもかかわらず、30万円かからない墓誌の製作の一部負担・・・残ってる姉弟・私共含めて5人で分担すれば6万円弱だが、明らかに良い顔をしなかった。自分の実父母の墓なのにね~。
そんな態度なのに、戒名がどうだのとか・・・あまりのアホらしさに笑っちゃうよ。
義理伯母は、仏法とはなにか・・そもそも戒名ってなんなのかなんて考えたこともないだろう。
ましてや、仏教とは何の関係もない檀家制度の始まりや、ブッタ(お釈迦様)の本名は、ゴーダマ・シッダッタだということなんて知りもしないだろう。
なぜ、こと葬儀については多くの人が思考停止状態になってしまって、葬式坊主の金のなる木になってるのか不思議だ。
死んだら、それまでの痕跡を全て消してしまうつもりの私には墓石も墓誌も関係ないけど、こういう出来事を通じて人の心根というか本質が分かる。
今日は、実家に挨拶にいってくる。
京都に居る姪が子供を連れて明日くらいまで居るそうだから、その顔も見にね。
親父には、ずっと昔から・・仏法を学んでいるとも思えないし、そこに深い人生哲学があるとは思えないけど・・・葬式坊主は呼ばない・家族親族だけの密葬をして、みんなで飲み食いをしてオシマイにしろと言われてるし、遺言にも書いてあるらしいからそうする。
(息子の私が言うのもなんだけど、水飲み百姓の親からの援助など期待できず、ゼロから会社を興し、経営的には亡くなった義父よりもはるかに成功したから、少し派手にやっても不思議ではないけど、きっと本田宗一郎を見習っているのだろうと・・私は思ってる。常々、本田宗一郎の話はしてたからね。)
お袋からは何も聞いてないから、今日行ったら、自分はどうするのか早く決めろと言っておこう。
いつ逝っても不思議じゃないからね。
くれぐれも葬式坊主を呼ぶような葬式はしないで欲しいわ。
メメント・モリ・・・疫病の流行った中世ヨーロッパで盛んに言われたラテン語。
日本語に訳せば、常に死を思えという意味。
多くの人がメメント・モリを意識すれば、死者を食い物にし続ける、仏法とは何の関係もない葬式寺や葬式坊主も消えてくだろう。
少しは、故・三宅久之氏を皆が見習ってくれたらいいのにね。